慎弥田中のすべらない話〜第一夜
それは記者会見に始まった
「確か、シャーリー・マクレーンだったと思いますが、」から始まる名(迷)会見で一躍脚光を浴びることとなった、田中慎弥氏。後々のインタビューや文章群に当たると、本当に記者会見が嫌で、冗談で湧かせて幕引きを図るつもりだったらしい。
ただ、彼の目は冗談を言うには少し鋭すぎたし、マジで都知事閣下に喧嘩を吹っ掛けているように映ってしまった。後々の騒動は記憶に新しいところである。
ともかく、年に2回の祭りを大いに盛り上げた功績について、スタンディング・オベーションを辞さない。彼の懐も潤ってよかったね*1、ハッピハッピハッピーである。
「共喰い」〜ALWAYS 近代文学の夕日
さて、第146回芥川賞受賞作「共喰い」である。
まず惹かれるのは描写である。
昭和63年、海のそばの町を舞台としているわけだが、冒頭、主人公の少年がウナギを釣る川の描写からして3D眼鏡を通して観たスクリーンにも負けぬくらいに、風景が立体的に立ち上がってくる。おまけに臭いまで漂ってくる。
ここで「そうそう、文学ってこんな感じだよ」と感じさせてしまえばしめたもので、それがポジティブな評価であろうと、ネガティブな評価であろうと、どちら様も文学の世界へご案内、と相成る。
著者の“文学”の骨格作りは確かなもので、ぱっと部分的に拾い読みしても隙がなく、どろっとした粘着さというか骨太さに筆力を感じる。それこそ、著者の愛用する2B鉛筆で一文字一文字書いてるんだなという感じ。
では、登場人物を紹介しよう。主人公。暴力的な父親。父親とは別居している魚屋の母親(義手)。最近セックスしたばかりの彼女。謎のエロいお姉さん。などなど。
そして、端的に言えば、「俺は暴力的な親父の血を引いてるから、彼女を殴りながらセックスしちゃいそうで、それで気持ちよくなってしまいそうだぜアハー」という主人公の取り憑かれている妄念で、この物語は終始する。もうここまでくると徹底的に裏切りのない近代文学の世界そのものであり、既視感ありあり手垢べたべたである。
例えば、1970年代に中上健次の紀州サーガで済んでしまったことを、劣化コピー的に繰り返しているようにしか見えるのだ。
なぜ、そんな作品がここまで評価されてしまったのか。
僕はこの作品に『ALWAYS 三丁目の夕日』的なものを感じてしまった。3D眼鏡を掛けて立体的に昭和30年代に浸り、裏切りのない物語で登場人物たちの営みを楽しむ。そう、「共喰い」は近代文学版ALWAYSなのだ。
「戦後間もなく場末の盛り場で流行った「お化け屋敷」のショーのように次から次安手でえげつない出し物が続く作品」。今回で辞任することとなった(そして、仇敵にさせられてしまった)石原慎太郎銓衡委員の選評が、お約束が散りばめられすぎた「共喰い」の評価として的を射ている。
しかし、こんなはずじゃない、と僕は邪推する。
5回も候補になるくらいの実力者だ、芥川賞向けにカスタマイズしてしまった結果、近代文学的ALWAYSな世界を生み出してしまったのではないか、と。
「第三紀層の魚」〜下関のチヌ釣り
単行本『共喰い』に併録されている「第三紀層の魚」は、第144回芥川賞候補である。
単行本をつい買ってしまい、「共喰い」でどろどろの汚い血を浴びて嫌な思いをした方は、そのへんに放り投げることなく、続けて「第三紀層の魚」を読まれることをお勧めしたい。
あの粘着質だった文体はどこへやら、チヌ(黒鯛)釣りに燃える少年と、寝たきりになってしまった曾祖父、旦那に先立たれた祖母、うどん屋で働く母、と登場人物を並べてみただけでも、気の利いた短篇ドラマになりそうな一品である。
少年の視線で物語が進んでいくのだが、ただでさえ妄想めいてしまう著者の文章にしっくりきてしまう。大人の関係性への冷静な観察や、チヌに対する執着などは読み応えがある。
今作は、“やりすぎなかった”ことである意味気持ちよさがあって、恐らく、およそ田中慎弥らしくない作品なのだと思う。それがしっかり成立してしまうあたり、作者の筆力の成せる業なのだろう。
一方で、それがために、「低いハードルを跳んだ」(島田雅彦)という評が出てしまうのも、頷けてしまう。これが例えば、坪田譲治文学賞だったら文句なしだったかもしれない。
田中慎弥をめぐる冒険
というわけで、「田中慎弥はもっと面白いんじゃないか?」という疑念を持って、慎弥田中のすべらない話を捜す旅に出ることとする。
(第二夜に続く)
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*1:発行部数20万部を突破したのこと。