2014年のコンテンツを振り返って(小説・演劇・映画)
2014年の足跡を残すべく。
小説――戦争の跫音を
1.ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』
2.嶽本野ばら『傲慢な婚活』
3.絲山秋子『離陸』
次点.高橋弘希「指の骨」
横浜の棚がつまらない、のは2013年に続き2014年も同じで。読書会で本を読んでいるから、なんとか小説のアンテナを高く持てている。
誰が書いたってスベらない素材ではあるものの、ハイクオリティでハイリアリティで届けたのが『帰ってきたヒトラー』。今この世に〝彼〟が現れたときに、我々は拒むことはできるのか。戦後70年を目前にしてもっと届いてほしい作品であることは確かだ。
2位の『傲慢な婚活』は、主人公破天荒にして、展開もハチャメチャではあるものの、意外にも世相を切り取った結婚物として突き刺さった。エンタテイメント作家として、もう一度幸福な映像化に出会ってほしい。
3位は、ポスト村上春樹の可能性を探ろうとした『離陸』。結果として成果は生まれきれなかったのが残念だし、恐らくこの先も彼女の長篇小説において同じような挑戦はないだろう。それにしても、この質の高さに敬意を表す。
次点の「指の骨」。なぜ、2014年にこの作品が生まれてしまったのか。大東亜戦争をまさに現在の如く伝えてくれた氏の仕事について、強い謎と深い驚嘆しかない。
演劇――切り取った“そこ”を
1.維新派『透視図』
2.時間堂『衝突と分裂、あるいは融合』
3.木ノ下歌舞伎『三人吉三』
久々に演劇制作として2014年を過ごした一年だった。自分が携わった作品に対する思いを多くに占めつつ、合間合間の観劇となった。
土地を切り取ることに美しさを感じさせてくれる、維新派。本拠地大阪での10年ぶりの公演『透視図』は、川の流るる街を舞台に少年少女が駆け抜ける。これからも定点カメラのように土地を、この世を見つめてほしい。
『衝突と分裂、あるいは融合』は、3.11以降、原子力問題について、ニュートラルな視点のフィクションは初めて観たかもしれない。議論の可能性/不可能性、人の美しさ/汚さを黒澤世莉さんは俯瞰して見せてくれた。もはや絶対アイスブレイクなんてできないんだけど、それでも「分かり合えないということを分かり合う」という選択を持ちたいな、と。
『三人吉三』という幕末動乱時代に描かれたハチャメチャな歌舞伎一本をおおよそ5時間で駆け抜ける。観客ももはやアドレナリン全開でのカーテンコール4回は、言うまでもなくキャラクタへの愛だと思う。
映画――何らかの強度
1.『ゼロ・グラビティ』
2.『ゴーン・ガール』
3.『楽園追放 -Expelled from Paradise-』
次点.『ベイマックス』
去年に引き替え多くの作品に触れることもなくおとなしい一年だった。ARISEの最後も見届けられなかったし…。
去年公開の作品ではあるけれど、今年観たということで。そしてあの映像美と恐怖にかなう体験がなかった。ステロタイプな展開でさえ壊せなかったものがそこにあった。
既婚者は『ゴーン・ガール』的な体験をやや縮小的に体験をしていらっしゃるんですよね…? やっぱり人間が怖いし、だから傍観者は面白いんだと思う。フィンチャーの暗さが作品に見事に寄与していて文句なしに圧倒される150分だった。
『楽園追放』は、近未来SFでありながら確かに今を描いていた。時間堂にも感じた「排他的になりがちな現在を見つめる」目線があったからこそ、納得感が強かったんだと思う。これくらい強度のあるのある作品が、もっと伝わればいいなと本当に思う。
悩んでの次点で『ベイマックス』。日本とアメリカでタイトルも宣伝も違うことが話題だが、「癒し系ロボットもの+ヒーローもの」としてかなり満足度が高い。客席が揃って笑っている作品って幸せです。
では、また2015年よき作品に出会えますよう。
*小説
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人のセックスを笑う ― 『愛の渦』
高級マンションの一室に設けられた秘密クラブ、ガンダーラ。そこで開催される乱交パーティーに、ニート(池松壮亮)、フリーター(新井浩文)、サラリーマン(滝藤賢一)、女子大生(門脇麦)、保育士(中村映里子)、OL(三津谷葉子)、ピアスだらけの女(赤澤セリ)たちが参加する。セックスしたいという共通の欲望と目的を抱えている彼らだったが、体を重ねるのに抵抗を感じる相手も浮上してくる。さまざまな駆け引きが展開する中、ニートは女子大生に特別な感情を抱くようになっていく。
(シネマトゥデイより)
THEATER/TOPS
2005年4月というのだから、9年前。ポツドールを観るのは初めてだった。
既にセミドキュメント*1はやめていたものの、現代口語演劇といういわゆる“リアル指向の演劇”という括りにおいて、注目もされていた*2。
乱交パーティーの会場という一場を切り取った大胆さ、裸の人間を舞台に乗せるという過激さ、裸になっても裸になりきれぬ人間の滑稽さ、次第に欲求やら本音やら開けっ広げに曝露させていく作家/演出家の趣味の悪さ、そしてそれを笑う客席の趣味の悪さ。どろりとした粘度の高そうな何かで劇場は充満していて、客席はどっぷり浸かっていた。
あれから9年経つけれども、場面場面を今でもよく思い出せるし、本当に悪い悪い空気を堪能したんだなあと思う。
横浜ニューテアトル
イセザキモールにある場末の映画館に入るのは初めてだった。
「ニュー」とつく施設は、往々にして昭和の香りがする。その入口をくぐる時、入ったこともないポルノ映画館(そう『ノルウェイの森』に出てくるような)を想起させた。客席の数は、ちょうどTHEATER/TOPSと同じくらい。設備は古く、空調がごんごんなっていて、それはそれで、この作品に合っているような気がした。
舞台で表されたそのものが、まるっと映像に詰め込まれていた。大筋の脚本はほとんどそのままだろう。
裸の役者たちも達者すぎて面白い。別の作品で役者を知れば知るほど、この人が裸になれば的な趣味の悪い楽しみができると思う。『半沢直樹』の近藤(滝藤賢一の出世役)とか裏ではこういうことやってそうじゃない?とか、東京ガスでバレエ踊ってたあの子(門脇麦)の騎乗位が激しい!とか。
着衣時間18分を謳うだけの楽しみはしっかりあると思う。特に「女優名+画像」検索しにくる諸氏は、ぜひ観に行っていただきたい。たぶん、あなたにとっての嘘はないから。
ストーリーや出来事をある程度知っているからかもしれないが、カメラが見せる画がときどき自分の観たいものと乖離しているようなところがあったように思う。それを舞台との相違と片付ける前に、少しだけ考えてみる。
ニートから女子大生への感情というのがカメラではあまりに近い感じがしたし、女子大生からニートへの目線があまりに雄弁すぎたように思う。それで、視点/思考が固定されてしまったのが、残念だった。
三浦監督もそうなりすぎぬよう群像劇的に作っていたとは思うのだけれど、やはり、カメラを通しての門脇麦の目線は過激なまでに強かった(意味を持ちすぎた)ということなんだろう。まあ、狙いどおりと言えば、狙いどおりなのか…?
あと、三浦大輔作品にドヤ感のあるセリフは似合わないんだなあと、はっきり確信したのだった。映画オリジナルのシーンは嫌いじゃないけれど、それでも、あの台詞は…。
賢者のような朝、じゃなくて21時過ぎのイセザキモール。ガンダーラから、変な感じで世間に放り出されたような気になって、家路を急いだ。
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オリンピックを見る。
ソチ・オリンピックが開催されている。
始まる前は、「今回は(自分の中で)盛り上がらないな」なんて思っていたのに、初めて見るスノーボード・スロープスタイル(スピード感あふれるダイナミックなジャンプ!)が意外と面白かったりして、それなりに堪能し始めている自分がいたりする。
スタジオからのあれやこれやは小うるさいし気恥ずかしいのでせいぜい半目で見ているし、日本贔屓が過ぎる実況は正直興ざめだけれど、ただ単純に人間がスポーツをしている身体を見るのはそれだけで面白いものだなあ、と再認識させられる。知らない種目であると、なおさら身体や動作を見るから……うん面白い。
*
村上春樹氏がときどきスポーツ雑誌「Number」に載っていることがあるけれど、オリンピックに関しても2つのエッセイを発表している。
ひとつはロサンゼルス・オリンピックの「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」(『'THE SCRAP'―懐かしの1980年代』所収)、もうひとつはシドニー・オリンピック「世の中にオリンピックくらい退屈なものはない、のか?」(『シドニー!』の元ネタ)である。
前者のロサンゼルスの話は、東京にいながら、本当にオリンピックに関係ない日記をオリンピック開催期間に書いている。自身も市民ランナーであるため、マラソンだけはテレビ観戦していたけれど。
後者の『シドニー!』では、そんなオリンピックに興味がない春樹氏がオリンピックを現地でがっつり観戦し、日々の様子を綴っている。
文庫購入以後、機会あるごとに繰り返し読み返してきて、いつの間にか村上春樹作品の中でも五本指に入るほど好きな作品になっていた。
*
『シドニー!』の白眉は、キャシー・フリーマンの400m走での金メダルシーンだと思う。
テレビの実況は選手の物語をなんとか叩き込もうと必死に語るが、時にうるさく感じる時さえある。春樹氏の文章は、スタート前の静寂の上を滑り、スタート後の爆発を走りに走り、、ゴール後のキャシーの様子を語る。その語りからは、地元選手(アボリジニーの選手とは言え、だ)の金メダルの直後であるにかかわらず、まるで静寂しか感じられない。そして、徐々に歓喜の音が聞こえてくる。
まあ、言ってしまえば作家の主観が籠もったシーンではあると思うが、まさに現場を(文章を)体感できる文章として出色だと思う。
この『シドニー!』は、オリンピック観戦記としてお腹いっぱいになると同時に、オーストラリア旅行記としても満足度が大きい*1。国、街の雰囲気がむっと漂ってきて、2000年のオリンピック期間中のシドニーはこんなんだったんだなあ、とシドニー市民が読んでも面白いんだろうなあ、と思うくらいだ。
春樹氏の今までの旅行記(というか滞在記)は、ある程度長い期間のものであった。
しかし、短い日数と言うこともあってテンションの維持がされているが故に、一次的なほかほかの文章(≒作家の眼が捉えたそのもの)が提供されている感じを強く受ける。
春樹氏が嫌いな人に勧められる春樹作品だと私は推薦したい。
*
さっきはスピードスケートのショートトラック、いまはアルペン女子スーパー複合が行われている。雪煙を上げて急斜面を下っていく身体が……やはり面白い。あと十数日間見つめたいなあと思う。睡眠時間を削らない程度には。
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迷作、爆誕。 ― 柿喰う客『世迷言』
柿喰う客の本公演である。本公演は、中屋敷法仁のオリジナル戯曲を自信が演出するという一番スタンダードなものだ。
前作『無差別』は、「戦後日本の思想的転換を題材に人間<テクノロジー>と神<自然>の調和と共存を描く!」として、戦前・戦中の人間と自然(動植物)との差別的な関係性から、原爆により等しく害を受けた“無差別”的状況を圧倒的俳優力で描き出した。作品の根底にあるのは「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という命の問題だ。
これは、今作『世迷言』にも通底している。
因果の百鬼夜行
御伽草子や竹取物語、今昔物語、宇治拾遺物語など日本の古典作品に着想を得た『世迷言』は、馴染みある様々なキャラクタに溢れている。鬼・姫・翁・媼・猿・帝などなど。
ここに登場するキャラクタたちがお互いの境界を越える禁忌を犯すした時、(中屋敷の言葉を借りれば)無差別化を強いられる。それによって引き起こされた因果は卵が先とも鶏が先とも知れぬ繰り返しに陥っていく。その因果からはみ出そうとする魂でさえ、結局はその繰り返しの中にあるひとつに過ぎない。
命が繋がる限り続くこの繰り返しは、“今は昔”であると同時に“昔は今”であることを印象づける。国文学として語り継がれてきた物語は、確かに今の地平に続いているのだ。
美術・衣装・照明・音響により俳優が立ち上がり、スタイリッシュながら幽玄な印象を強める。奇妙でしかしストレートな振付で暗く躍動する俳優たちに魅入られる時間は、一筋縄ではいかない“昔話”を現実のものとして立ち上げる力があった。
特に「天」(葉丸あすか)という役に与えられた「語る/騙る」ことに興味を持った。時折月と共に現れる絶対的な存在に心惑わされることだろう。
フライヤーでも使用された“籠”とそれに囲われる物。
これは現代に生まれた命と魂の昔話だ。
存在の耐えられない重たさ
それをやや退屈に見せてしまったのは残念だ。こんなにも長い90分も珍しい。『無差別』でもややそう感じたが、その比ではない。特に中盤以降の遅く重く語る様は、今までの柿喰う客になかったことだ。そして、その重さに意味を見出すことは困難だった。
原因は二つある。
一つは、“ありきたり”な展開であったこと。
古今東西の物語に触れた者であれば、「ここは本筋」「ここは脱線」というのが分かりやすい。また、身の上話を情感たっぷり語るところなど、よくもわるくも古典的な曝露である。昔話という枠を決めた時の真面目さが、あまりよい方向に感じられなかったというのが正直なところだ。
もう一つは、客演の笹井英介に気持ちよく演技をさせたこと。
プロデュース公演と違い、劇団公演と打った以上、笹井に柿喰う客らしいリズムを強いることも一つの選択肢だったように思う。しかし、あえてそれはさせず、妖艶たっぷりな笹井の本域をと出させたと同時に、舞台全体にその空気の共有を図った。
それを新たな挑戦だとすることもできるが、笹井に引っ張られた、もしくは飲まれた結果のように見えてしまった。年代が上の俳優との仕事が少なかった中屋敷の弱さだった、と私はあえて切り捨てたい。
今年の本公演はこれが最後*1で、次は来年以降ということになる。
劇団初の本多劇場にこのような迷作をぶつけてきた柿喰う客の蛮勇ぶりが、次の本公演ではどのように進化するのか、
いや、そんなことはまだどうでもいいことだ。いまは、惑うことに忙しいのだから。
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