『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』

ブリティッシュ・コメディアンはジェームズ・ボンドの夢を見るか?

 ジョニー・イングリッシュのCMで、「Mr.ビーンの」という枕詞を聞いていたら、ふと、今の十代は彼のことを知っているだろうか、と思った。

 箸が転がってもおかしな年頃にMr.ビーンでおなじみのローワン・アトキンソンに出会えたことは、自分にとって幸せなことだったと思う。ちょうど映画化され、NHKも深夜放送をしていた頃*1で、と条件は揃っていて、控えめに言って、どハマりした。

 気がつけばあれから10年以上経っていて、箸が転がってもおかしくはなくなったし、ローワンに対する興味も薄れた。それもこれも、ローワンがいけないのである。
 このローワン・アトキンソンという方、作りたいときに作りたいものを作ってる感ありありで、『ビーン』の続編は10年後、『ジョニー・イングリッシュ』の続編は9年後といった具合。コメディアンとしての流儀と言われればそれまでなんだけれど。


 かくして、『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』にて、ローワン・アトキンソンとは(スクリーンでは)9年ぶりの再会となった。

かつて祖国の危機を救い諜報(ちょうほう)機関MI:7のエースとなるも、ある任務で自信を失ったジョニー・イングリッシュ(ローワン・アトキンソン)はチベットの僧院に引きこもっていた。そんな折、英中首脳会談を控えた中国首相を暗殺する動きがあることから、彼に情報収集と暗殺阻止の命令が下る。イングリッシュは新たな任務に張り切るが、思いもよらぬ陰謀が待ち受けていた……。(シネマトゥディより)

 良質な007パロディーであると同時に、意外と真面目にスパイ映画していたことに驚嘆した。

 前作は、ジョニー・イングリッシュというジェームズ・ボンドのお間抜け版というキャラクタだけで押し通していた印象があるのに対し(それだけでもパロディーとして十分◎)、今回は既視感のあるガジェット(カジノ、女、自動車、秘密兵器)の数々に、もはや本家007を観ている気分にさえさせてくれる。そうだよ、007ってそういうことだよっていう納得感。“気休めの報酬”っていう邦題もいいスパイスになっている*2

 本家007シリーズのジェームズ・ボンドダニエル・クレイグになってから、かなりシリアスに殺しのライセンスを行使している。その緊張感がいいのだけれど、それがために、007にピアース・ブロスナン時代のユーモアを求めることは無くなった。求めようものなら、クレイグに消されてしまうに違いない。本当に彼の目は殺し屋のそれである。

 そして、ちょっとユーモアの効くスパイは今やM:Iシリーズのイーサン・ハントなんだろうか、なんて思っていたら、意外や意外、ジョニー・イングリッシュもいけるじゃないか。結果的に笑える作品となっていたピアース・ブロスナン時代の007と、結果的に意外と真面目な作品となっていたジョニー・イングリッシュが、等価交換出来てしまったことに驚いた、と言ったところ。
 まあ、007に笑いを求めていた時点で、どうなのかって話なのだけれど。

 そう言えば、本家007で、あの有名な“ジェームズ・ボンドのテーマ”でパラパラ踊ったら面白いなと思っていたことを思い出した。それこそコナン君がパラパラを踊っていた頃で、007では『ワールド・イズ・ノット・イナフ』の頃だ。いかにも中学生の考えそうなことだ。でも、絶対しっくりくると今でも思っている。

 肝心のローワンの印象は、全然変わっていない。白髪が増えただけ。一挙手一投足がもはや古典芸能である。ブリティッシュ・コメディーの重要無形文化財が、英国の名を背負ったドジなスパイをやることに、意義の唱えようなど無いのだ。
 難しいことは何もいらない。ただただ、腹をよじらせればいい。

*1:元旦に「朝までMr.ビーン」とかやっていた

*2:本家はジョニー・イングリッシュ・リボーン。邦題つけて大正解。